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文久3年9月12日(1863年10月24日)
【京】因幡藩主池田慶徳(松平相模守)帰国

■攘夷強硬派大名の退京
【京】文久3年9月12日、因幡鳥取藩主池田慶徳(前水戸藩主徳川斉昭の実子で一橋慶喜の異母兄)が藩地の事情を理由に帰国しました。

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因幡・備前・米沢藩主及び淡路藩世子の在京有力四候は、朝廷の政変前から攘夷について諮問され、政変の際にも朝廷に召されていました。四侯は攘夷親征には反対(親征よりもまず攘夷履行を幕府に厳達すべきという主張)だったものの、長州藩には同情的で(参照:文久3年8月23日)−因備両藩主の長州擁護の上書)、中川宮らからは旗幟不鮮明なことを指弾されていたそうです。

『徳川慶喜公伝』では、この日の池田慶徳の帰国もこのような政治状況のせいではないかと推測しています。この後、鎖港攘夷派だった在京諸候は続々と帰国し、かわって上京してくる薩摩藩・越前藩・土佐藩・宇和島藩などが政局を動かしていくことになります。

関連:■「開国開城」「大和行幸計画と「会薩−中川宮連合」による禁門(8.18)の政変
参考:『徳川慶喜公伝』2、『維新史』三(2001.10.20)

■横浜鎖港問題
【江】文久3年9月12日)、将軍後見職一橋慶喜は鎖港実行を奉答しました。

関連:■テーマ別「横浜鎖港交渉
参考:『徳川慶喜公伝』2、『維新史』三(2001.10.20)

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